その1のつづきです。
さて、かくもまあ寂寥の地、恐山。
もうちょっと、見ていきましょうか…。
山、そして湖。
風車は、いたるところで回っておりました。
硫黄のにおいも、あたり立ち込める。
…硫化水素、といったほうがいいのか?
そして、目下にはウソリ湖が。
もともと、この地はウソリと呼ばれていた。アイヌ語の usor という説もあるが、諸説あるようだ。入り江や湾という意味である。
恐山といえばイタコである。文献としては、1772年の『平山日記』にて、「巫女(イタコ)」と出てくるのが初出だそうだ。
いわゆる「口寄せ」が有名になったのは、昭和30~40年代であり、新聞・テレビ・ラジオの普及が大きい。観光地化、勿論それは交通網の整備が進んだおかげでもある。ただ何分やはりメディアの力は…今も昔も大きいことは間違いない。
恐山と、山岳信仰に関しては、鈴木正崇の『山岳信仰 日本文化の根底を探る』をご参考に。余力があれば、このへんの深い話にも触れようとは思いますが…。参考・引用は、上述の通り。
そろそろ閉山の時期であり、山に入れるのは今がチャンスという訳だ。
10月末には恐山行きのバスが運行停止となり、毎年若干閉山の日程は異なる。行く人は、ちゃんとググってね。
そして、ついに賽の河原にいたる。
水面は静かに、旅人を出迎える。
先の、東日本の震災供養塔もあり、鐘の音が響いていた。
古くからこの下北半島には死者供養の民間信仰があった。恐山もその一つである。
ところどころに石が積まれ、そして視界には死者の名も見え、やはりここが霊地であることを、まじまじと…奇妙な言い方ではあるが…そう、目で、感じさせられるのであった。
ただただ、湖畔でひと時を過ごした。
道は続く
荒廃といってしまえば、二つの意味で粗野である。
再び地獄あり。「危険」の文字が、妙な現代的危機感を煽る。
さて、もうこのへんで書くことも尽きてきたので、気持ち切り替えていってみましょうか。
番外編
↑男湯と女湯あり。混浴もあるらしいが…はたして。
↑成分的に、長時間はNGとのこと。顔を洗うのもよくない。
ぼくは足湯だけ。。。ちなみに脱衣室は申し訳程度のものがある。
↑本土にヒグマはいない。だから、ツキノワグマ。東北の友人から聞くまで知りませんでした。
↑マムシは余裕でいる。そこら中にいる。