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ツネ語ログ

ツネザワシ(Tsunezawashi )です!漢字教育士をやってます。

どうぶつをたべっこする ~本気で「たべっ子どうぶつ」について書いてみた~

「某奇妙な漫画でも登場していた、動物ビスケット」

もう、ストレートに言ってしまいます。
「たべっ子どうぶつ」と言えば、ギンビスより発売されている、動物の形をしてビスケットです。
今回は、たべっ子どうぶつに対して、ふと感じたことをつらつらと書いていきます。

あ、長いです!テキストしかありません。

 と、その前に『つらつら』なんて書いてますけど、これって【じっくり】ってことなんですね。

「ダラダラ」ってコトではないですよ。

さて。断りを入れておきますが、たべっ子どうぶつのまわし者ではないです。たべっ子どうぶつの社員でもありません。
たべっ子どうぶつに超絶詳しいという訳でもありません。
一日三食たべっ子どうぶつという訳でもありません。

「たべっ子どうぶつが好きですか?」と訊かれたら、「はい、好きです」と言うことができる、それぐらいの立ち位置の人間が、たべっ子どうぶつについて書いている、という認識でお願いします。


そもそも、たべっ子どうぶつは何種類ぐらいの動物が象られているのか?
…知りません。…
ググったら、46種類らしい。
そして「バク」がなかなか出ないのを検証している個人ブログを見つけ、世の中の広さを知る。

なぜ46種類なのか?この数字の意味は?
特別、公式サイトには書かれておりませんね。(…見逃していたらすんません)
「46」という数字に何かこだわりが?
…ぱっと思いつかないのでググる。
そうしたらヒトの染色体数なんてのが。23対46本。
うーむ、関係ありそうに見せかけて全くない、ってオチだなこれは。

色々調べていたら、あのデイリーポータルZに、たべっ子どうぶつに関する記事がありました。
おお。いろいろ勉強になる。

※参考・引用『デイリーポータルZ』
乙幡啓子:たべっ子どうぶつにワニやキリンがいない理由
http://portal.nifty.com/2007/11/20/b/

人生において、たべっ子どうぶつの勉強をする機会があるとは、今日という日まで、よもや思いもしませんでしたが…。

*「たべっ子どうぶつ」って語句が何度も出てくるので、ゲシュタルト崩壊しそう。
しかし「甲」とも「乙」とも言わぬ。
只管『たべっ子どうぶつ』と書ききってやる。

気になったのは上記の記事内で、46種類の理由は書いていないんですよね。
結局この数字は何なのか。
何かの記念の数字なのか。


まあ、それは兎も角。
たべっ子どうぶつのパッケージには、あざらしが描かれているものがあったと思うんですね。
開け口の、ペリペリの所に、あざらしが、どんと描かれておるのです。
何故、あざらしに着目なのか?
…あざらしが好きだからです。
あざらしが好きなので、なかなか嬉しい限りなのですが、箱を開けることはすなわち、あざらしを真っ二つ、いや真っ三つにするので、ちょっと複雑なのである。


どうでもいいですが、あざらしの語源はあざのある獣、ってことらしい。
あざ+ら+し、ってワケらしい。
しかし、たべっ子どうぶつに描かれているあざらしには、あざなんてないのである。
ところで、あざらしも、あざも、ひらがなで書いているものだから、非常にややこしい。
だが、世の中のあざらしモチーフのキャラクターデザインでは、たいてい、あざのないあざらしが登用されている(ような気がする)。

何が言いたいのかというと、存在の否定というか、名前と体(てい)の不一致というか。
まあ残念ながら、あざらしは、あざがない方がカワユイのである。
残念ながら。


ところで。(ここからちょっとずつ、たべっ子どうぶつの話がマジになっていきます。マジで。)
小生基本的には、たべっ子どうぶつの動物たちには目もくれぬ。
彼らはお口へと、運ばれていく。

かつて、小生が幼かった頃は、彼らの体に書かれたアルファベットを見て、考えて、わかるはずもなく、食べていたと思う。
今ではどうだろうか。食べて、食べて、食べる、である。

となると、本来ギンビスが所望する「知育菓子」の役割は、特定の層には全く響いていないのだ。折角、英単語可視の菓子なのに。すんません、コレ言いたかっただけです。

そしてカワユイ動物であること、そんなことも関係ない。
極論、手に取ったビスケットが何の動物なのか、認識されなくてもよいのである。
認識しなければ食べることができない、そんなことはない。

ということは、別にバター味のビスケットであれば、いいのだ。
どうぶつの形でなくてよいのだ。
ウマけりゃいいのだ。

しかし、たべっ子どうぶつを選ぶというのは、それはたべっ子どうぶつを食べたいから選ぶのである。

となると、たべっ子どうぶつを選ぶとき、我々は…いやそんな大袈裟な…
…小生は、たべっ子どうぶつの付加価値を理解している(つもりだが)、
その上でたべっ子どうぶつの付加価値を無視し、たべっ子どうぶつを食す、というただただ生物の欲求に従っているだけの行動を選択しているのだ。

もし、たべっ子どうぶつ以外に、たべっ子どうぶつの味を内包するようなビスケットがあれば、小生は、そのたべっ子どうぶつに似て非なる、ただの「たべっ子」を選んでいる可能性が大いにあるのである。

ただ現時点で、見た目が、たべっ子どうぶつ的なビスケットはあるのだが、味が、たべっ子どうぶつ的であるビスケットには出会えていない。
(勿論、自分が気付いていないだけで、存在の可能性がある)

事実の述べれば、たべっ子どうぶつのパチモンは食したことがある。
動物の形であり、バターの味であり、そう、「擬似的たべっ子どうぶつ」である。
じゃあ、別に本物のたべっ子どうぶつではなくても、たべっ子どうぶつ的な要素、
この場合、「形」と「味」の二つをクリアしていれば、充分選択の理由になることが、自己解決した訳だが、人口に膾炙されるためには、この二つの内一つでも欠けてはいけない、ような気もするのである。

パチモン会社も、売れるためには「動物」と「味」の二つが必要不可欠であることを理解しているのである。


ここで、たべっ子どうぶつの前身…元祖である「動物四十七士」の存在を取り上げて、再度考えてみたい。
初めて耳にする方もいるかも知れないが、ギンビスは、現在のたべっ子どうぶつの前に、動物四十七士という商品を出していたのである。

何が違うのかというと、まず味である。
公式でも謳っているのだが、嘘偽りなく可也、素朴な味である。
食べた感想だが、正直なところ、たべっ子どうぶつの方が好きである。
やはり、バターの要素は大きい。

次に、動物の種類である。名前の通り、47種類の動物が存在する。
どうやら、コアラがいるらしい。
申し訳ない、コアラはあまり興味がない。

そしてなぜ47種類だったのかという、先ほどの46種類の問題と同等の疑問が発生する。
割愛したかったが、「四十七士」というキーワードが「赤穂浪士」を連想させることを鑑みると、なかなかタダでは済まない問題のような気がする。
つまり、コアラがリストラされたのだ。
キーワードだけで考えれば、コアラが討たれたのか!?という邪推が可能である。

上記のデイリーポータルZの記事上では、キリン・ワニは細長く壊れやすいという形状の理由で作られていないと説明されている。
ただ、コアラはそうでもないのでは?と思えてしまう。
現状、たべっ子どうぶつ上では、中のパッケージ底にコアラの姿が残るのみである。
やはり、コアラに何か恨みでもあるのだろうか。
コアラの遺影のように思えてきてしまう。

それこそ、コアラに纏わる不吉なジンクスか何かあったのか、と裏の理由を勘ぐってしまう。
コアラの菓子と言えば…コアラのマー…はっ!!

…何にせよ、コアラのリストラ、そしてバター味という新しい概念が追加されたことで、
ビスケットは新たなる境地に達し、現在のたべっ子どうぶつへと生まれ変わったのだろう。


さらに話を続けたい。
矢張りここまで所感を述べてきたが…
「動物の形」ということも要素としては大きいと感ずる。

勿論、バター味ということもそうなのだが、動物の形であるからこそ、人々の共感を得られているのではないか?
そこには、ヒトが他の動物を食べることで生きている、というストレートな理由が考えられる。

基本的に人類は太古の昔より、他の動物を食べることで、生命を営み続けてきた。
存続と繁栄には不可欠である。
勿論、ベジタリアン・ペスクタリアンなどあるが、それは少数であり、大多数は動物を食すことが、基本である。

ただし、面白いことに我々ヒトがたべっ子どうぶつを食べる際、そう、丸齧りするのである。
動物の全身を象られた、このたべっ子どうぶつを、一口で、食べる。
(口のサイズが小さい子供、体調不良…など条件によっては二口、三口で食べるケースもあるかも知れないが。)

基本的にたべっ子どうぶつで象られている動物たちは、現実では一口で食べられるサイズの動物ではない。
ここで、動物たちを列記してみたい。順番はパッケージ裏の並びより。

こうもり、くま、らくだ、ねこ、おんどり、めうし、しか、いぬ、あひる、わし、ぞう、きつね、おっとせい、やぎ、たか、めんどり、かば、みみずく、うま、ひょう、らいおん、おおやまねこ、いんこ、おしどり、さる、おうし、ぱんだ、おうむ、くじゃく、ぺんぎん、ぺりかん、はと、ほっきょくぐま、やまあらし、ねずみ、うさぎ、あらいぐま、さい、ひつじ、すずめ、りす、ばく、とら、かめ、いのしし、おおかみ

以上、46種。
ここで思うことが幾つか。
・日常で食用とされる動物、そうではない動物両方存在する。
・哺乳類、鳥類が中心。こうもりは何だ?
・棲息地は、国内外問わず。普段まずお目にかかれないものも。
・どれも知名度は高いと思われる。(46種、全て知っている)
・ねこ、おおやまねこは別カウント。
・雌雄の区別

…と箇条書きで書いてみた。
いまいちよくわからないチョイスもあったものの、一つ、仮定を提案したい。
「たべっ子どうぶつ」の動物は、「動物を食べたい」という視点と、「食べてみたい動物」の視点で考えられるのではないか、ということが挙げられる。

*動物のチョイスに関しては議論の余地が諸々ありそうである。
特に「ねこ」と「おおやまねこ」を分けるあたり、相当なネコへのこだわりを感じる。

「めんどり」をピックアップするあたりも、「性」という二項対立様式を意識させる。
アーヴィング・ゴフマンが男と女という二項対立様式について…言及していたと思うのだが…。
(大学のジェンダー論でちょろっとやっただけだから、詳しくは存じません!)
おんどりを除外し、めんどりだけ取り上げるというのは、タマゴを産む、メスの優位性ひいては、豊饒・豊かさの象徴であるメスを食べる=支配するというような思考連想に…
おっと、これはあくまでもただの所感です。

また「こうもり」を食べるというと、オジー・オズボーンのケースを思い出す。
まさか、たべっ子どうぶつがヘヴィ・メタルに繋がるとは露にも思わなかった。
これは、再考しなければならない!?


たべっ子どうぶつを食べることで、ヒトの「食」という欲求を満たすことができる。
そこには、ヒトの破壊欲求・攻撃性などを解決するという副次的なものもあるだろう。

そして、我々ヒトが、普段見るどころか、食べる機会すらない動物を、ビスケット上の解決策ではあるが、たべっ子どうぶつという形に落ち着かせることで、接近可能とするのである。
それは勿論最終的に好奇心を埋めていく中で、「食べる」ことへと繋げ、完結させる。

ヒトがたべっ子どうぶつを食べるとき、ヒトの様々な欲求が解決される。
たべっ子どうぶつは、まさに古今東西を問わず、ヒトが抱える問題を救うべき、ツールなのではないか。
※なお、たべっ子どうぶつは海外でも発売されている。

例えば、宗教上の理由で動物を食べてみたい…しかし肉食が不可、といったケースでも、たべっ子どうぶつを食べることで、その希望を達成することが可能である。

非常に大きな破壊衝動を抱えたとき、たべっ子どうぶつを食べることで、自身のストレスを軽減することが可能である。

たべっ子どうぶつを形代とし、第三者への呪術的攻撃手段とする。

など。

人類が食べることを選択し、且つ肉食も選択した以上、たべっ子どうぶつを食べることは至極自然なことのように思える。
そう、非常に理に適った、ビスケットなのである。


★最後に。
ただ、結局我々は食べたいだけなのである。
え、自分だけ?
たとえそうであったとしても、たべっ子どうぶつをたべっこするコトは、小生がヒトという生物である以上、回避できないテーマなのである。

なんのこっちゃ。


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参考・引用
ギンビス:たべっ子どうぶつ