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ツネ語ログ

ツネザワシ(Tsunezawashi )です!漢字教育士をやってます。

くらいはこわい ~ちょっとだけ開いている扉って…イヤな感じ?~

心理・哲学 雑記

「ちょっとだけ。」

突然ですが。
カーテンの隙間が気になる。
閉じ切っていない襖が気になる。
半開きのドアが。窓が。

なぜ気になるのか。
気になるというか、イヤである。
何なら、ちょっと怖い。

なぜか?
こういう風に感じる人と言うのは割といるようである。
知人にも。ネットの知らない住民も。
理由はよくわからないが、なんか不気味に思える対象のようである。

そういえば「ぬ~べ~」にも、隙間がどうのこうのの話があった気がする。

一体いつぐらいからこういう題材が出てきているのかはわかりませんが。
襖やドアとか、そういう建築様式が成立してないと、出てこない感情ではないかな~と思ったヨ。
でも平安時代には既に襖があったみたいなので、文献を探ればその手の記述があるのかも。
読む気力も、語学力もありませんけど!
詳しい人教えてください。

まあ、適当に考察・妄想をするのであれば、
やっぱりポイントは「暗闇」「異界」「境界線」ってとこなのかな。

ま、単純に「戸」ってのはある空間と空間を区切るモノだと思うので、
建築的な考えをしないのであれば、
戸があることによって、住空間とそうでない空間に分けられる。

人が居る、明るい住空間を出れば、そこは何が出るかわからない、漆黒の世界なのである。
今でこそ、街頭には外灯がテカテカ主張してますけど、当時はそうもいかなかったでしょう。
まあ今の世も、田舎に行けば、家の外はそこそこ真っ暗ですが。

となると、ドアが空間と空間を区切る一方で、外から何かが入らないようにする役割もあったのかな。
ドアが空いていれば、それは「どうぞどうぞ」の意味になってしまうのである。

ちょっと思ったのは、「千と千尋の神隠し」である。
思い出してほしいのは、千(千尋)がカオナシを見つけて、戸を空いたままにしておいたシーン。
(おっと、すごく伝えにくいなコレ)

まあ、入りますか~?みたいな呼び掛けもありましたが、
カオナシは、空けっ放しにされた入口から、「ども~」って入ってくる訳ですよね。
法の観点から言えば、不法侵入ではないワケです。
不法侵入はさておき、やっぱり「空いていれば入る」というのは心理的にあるんじゃないかのかな。知らんけど。

となると、ちょっとでも隙間があったり、空いていたりする、というのは、
「何か入ってきそう」「何かいそう」といった、何かよくないものを連想するキッカケになるのではないか、と思いました()

ただ、この考えていくと、ドアが全開でも全く問題ないんですよね。
でも不思議なことに、全開より、ちょっとだけ開いた状態の方が何かイヤなのである。
それは、なぜなのか?

わかりません(=ダメじゃん)

もうちょっと書きたいこと出てきたので、久しぶりに、漢字について書きます。
久々過ぎて、ブログの意義を失いそうだったぜ…!